hoshidamayaのブログ

僕の看護学生時代、信州での失恋体験談です。

T 神父さま

日曜日の真夜中、T神父さまが亡くなられた。


肺炎とのことだった。
日曜日の夜11時ごろ、危篤だと知らされていたが、こんなにも早く逝ってしまわれるなんて・・・・・・


正直、いまだに実感が湧かない・・・



ボクは若い頃、T神父さまから洗礼を受けた。




洗礼を受けて間も無く、ボクは上京した。
帰省するたびに、神父さまの元を訪ねるのが楽しみであった。
主任司祭というただでさえ、多忙なのに
複数の福祉施設のことにも携わっておられたが、そんな時間の余裕もない
にも関わらず、こんな自分のためにわざわざ時間を作って、相手をしてくださったのだ。
ボクの他にも、お世話になった方は多いと思う。



神父さまは穏やかな、イタリア生まれのフランシスコ会士である。
ボクにも修道士になるよう、度々薦められた。


ボクの何を見て、そう思ったのか・・・?


無理。


ボクには深い信仰はないし、協調性がないから。
だって、集団生活でしょう?
学校だって嫌いだったのに、修道院みたいな逃げ場のないところなんか
入ったら・・・・


毎日の規則正しい、生活、祈り・・・・


ムリ・・・・




ボクに取っては、それこそ、この世の地獄です・・・


「隣人、仲間が地獄なんて・・・隣人のうちに神を見なさい」とか言うんでしょうか?
呆れるかも知れないけど、いくら親しい人でも
ある程度の距離感を取らないと・・・・窒息しちゃうよね。



東京のカトリックの病院で働いていた時、シスターも言ってた。


「もう、社会よ。修道院の中でも、苦手な人を無視したり、避けたり・・・
そんなの、どこ行ってもある。」
ミッションスクールでも普通にイジメあるって、行ってた本人が証言してたなあ。


そういえば教会の青年会でも、はぶったり、ハブられたりだったしなあ・・・・


人の集団だからなあ・・・罪びとの集まり・・・


教会に行こうと思う人なんて、
周囲との関係で悩んでたり、人生で何かにつまづいたりしている人が多いと思う・・・
生きづらさというか、ある意味、未熟さとか・・・
でなきゃ、教会へ行こうなんて思わんよ。普通・・・・


だからつまり、集団の中で生きづらい人同士が集まるから、余計、強烈な人たちの
集団じゃないけど・・・・


変人の集まり・・・・


そう、ボクのような・・・・人。



社会でうまく立ち回れる人は、教会外より、よけえきつい・・・
「変な人の集まり」と思うかもしんない・・・・



そういえば入院していたシスターが言ってた・・・
「1人が好きな人は修道生活は向いていないかも。
どちらかというと、誰かがいないと寂しいというタイプの方が向いてるねえ・・・」


確かに修道士さんには陽気な人、多い気する


なんか、変わった趣味を持っているより、サッカーとかなんか、普通の皆んなと、
共有できるような趣向を持った人が向いてるとも聞いたことある。



修道院でも変わった人いるけどね。


話が大分逸れてしまった・・・・


ボクが高看へ進学する頃、神父さまも東京へ転勤になって、それから一度しか
お会いしてない。
その時、「まだ独身ですか?」と聞かれたのだ。


修道士になるの期待してるのかな?と思ったが・・・


今となっては、修道会へ入るには年齢的に厳しいし、結婚も今更・・・の年齢だし。





孤独死かな・・・・将来・・・



また逸れた。




神父様とは、もう一度お会いしたかった。


神父様のミサに預かりたかった・・・




主よ、み旨に忠実に生きた、この主の僕であるフランシスコ会士の生涯を御手のうちにお受け取りください。
私も、聖母の取り次ぎの祈りと心を合わせ、T神父様のために御身に祈りをおささげします。
このフランシスコ会士が天において、主の身元に安らかに憩い、私たちのために取り次ぎをしてくださるように。
聖霊とともに永遠に存在し、全てを支配しておられるあなたの御子、
私たちの主、イエズス・キリストによって。アーメン。

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