hoshidamayaのブログ

僕の看護学生時代、信州での失恋体験談です。

怖かったです

小学校一年生くらいの頃です。


僕は弟2人と3人で土日になると親戚おばさんの家に


よく遊びに行ってました。
親戚は父方で姉ちゃん4人、上は高校生、下は小学5年生で、
年の離れた小僧をよく相手してくれてましたねえ・・・


夕方になると父が迎えに来るんですが


一番上の姉が僕の様子を見てよく叔母さんに言ってました。
「Eちゃん、Sさん(僕らの父親)が来ると怯えてる」


確かに父が怖かったです。


家だと、すぐに怒鳴ったり拳骨が勢いよく炸裂してました。


突然、なんでかよく覚えていません。


ほんの些細な事でもスイッチが入るので


いつもビクビクしてました。


弟の「一年の科学」をめくってるだけで


「お前、今何年生だと思ってるんだ』と
怒鳴りながら拳骨です。



今、思い返すと



怒ることか?




と思ってしまう・・・・


今は流石にこっちも大人なので
理由なく怒鳴ると突っ込まれますからねえ、
滅多に怒鳴りませんけど、


15年くらい前、まだ両親と同居してた頃


僕が洗い物をしていた時です。
父がフランパンにまだ汚れがついているのを見つけて
突然、僕に怒鳴り始めたことがありました。
「なんだこれ、まだついてるじゃないか」と・・・


こちらも小さい子ではないので
言い返したんです。


そしたら父はオロオロしてました・・・


今は母に時々大声を出しているようです。


母は慣れてるようです。


母から聞いた話ですが、


父は時々寝言で僕の名前を
怒鳴り散らしていることがあるそうです。




僕の祖父は材木屋を始めました。
息子や娘たちを管理職にして
まあ、身内で固めたんですね。
その時に当時、東京で働いていた父を呼び戻して材木屋に入れたんです。
その後に大学を卒業して建築士をとった叔父(父の弟)も入ってきました。
それから祖父の気が変わって叔父の方を可愛がり、
父を蔑ろにしていたようでした。
叔父をはじめ、他の兄弟にはボーナスがありましたが、
父にだけボーナスはなく、給料もかなり低かったようです。
本来なら生活保護を受けなければいけないレベルでしたが
客商売で、父は形だけ専務という役職ももらっていたので
生活保護は印象が悪いと、祖父に反対されて受給もできませんでした。


母は何度も転職するよう勧めたようですが
父は身内から離れるのが怖いと言って自分の居場所もない祖父の材木屋にしがみついていました。


母はだいぶ苦労したようで、友達に強引に誘われた旅行でも
友人たちが買い物に出掛けていても体調が悪いと言って一人、
部屋にこもっていたそうです。
これはずっと後になって母自身から聞いた話でした。


僕ら子供もガリガリでした。
骸骨です。
冷蔵庫はほとんど空でした・・・・
さらに僕の場合は
頭がデカかったので宇宙人と呼ばれて
しょっちゅう学校で成敗されてました。


貧乏なのに見栄を張って一軒家を立てて
住宅ローンでさらに極貧になってしまいました。



僕ら3人の兄弟のうち
僕だけが長男という理由で贔屓されてた事もあり
弟2人とは、あまり仲良くはないく、
2番目の弟は、大手の銀行に勤め今では僕に対して勝ち誇っています。


僕は厨二病拗らせて、
サラリーマンにならんで良かったと思ってるので・・・・


????なんですけどね。


あ・・・・なんか、話がそれてますねえ・・・・



つまりですね・・・・


父にしてみれば息子である自分よりも、
孫である僕を可愛がっているのは許せなかったんでしょうか・・・?


とにかく本当に父は怖かったです。

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